燃え尽きるとき・・・


 映画「夜汽車」は、
ひとりの男を挟んでの
姉妹ふたりの愛憎を中心に、

三人を囲む人々の葛藤を描く、
宮尾登美子原作の短篇小説。


姉役に十朱幸代さん。
妹役に秋由久美子さん。


お2人とも10代の頃から 
とても 好きな女優さん。


この方たちの
出演される映画やドラマは、
可能な限り見てきたように
思います。

 

 すさまじい女の情念

 

この映画の中で、
こんな台詞が あります。


姉役の十朱さんが
心を寄せる男性(萩原健一)に
すがりつきながら


「あては あんたが欲しい。
体やない。
 あての心が 
あんたを欲しがっとる。
 死んでも離さんちや。
 あんたは あての男や。
あての男やき」


すさまじいまでの女の情念。


夢中で 男を愛した女は
男の前で 演技など しない。

プライドなど、
かなぐり捨てて、
その足元にすがりつく。


こんな風に
体当たりで自分の思いを
吐露できたらいいでしょうね。


たとえ、
エゴと言われても

自己満足、執着と言われても


その思いに歯止めは、
きかない。


それが 命がけで人を愛する。

ということなのかも
しれません。

 

 命、燃やすとき

 

「お姉ちゃんは、
 あの人に思われて命、燃やす。

 うちは、あの人を思って
 命、燃やす。

 燃え尽きてもええ。
 うちは、それでも生きていけるき」


高知弁が
今も木霊しています・・・。


他のどこの土地の言葉よりも

高知弁であるからこそ、
このドラマが生きている。

そんな風に 感じました。





ひとりの男を
愛したが故に 嫉妬し


奪い合い憎悪しながらも、
最期に残ったのは

姉妹としての 愛。


胸をわずらい、
今まさに命の火が消え行く間際、
薄れゆく妹の脳裏にあったのは

姉への思慕。


最期の瞬間に呼んだのは、
姉の名前。

愛した男の名では なかった。


「もう、うちを離したら、あかん」
「もう、ずっと一緒や」